キングスメン(The Kingsmen)


永遠のガレージ・クラシックである「ルイ・ルイ」――ザ・キングスメンが、64年に放った大ヒット・シングルだ。もともとはロックンロール・ソングライター、リチャード・ベリーのナンバーだが、ザ・キングスメンが暴力的にカヴァー。やる気のないヴォーカルとたどたどしいギター・ソロ、つんのめるようなビート――全てが一体となり疾走していく様は、不良ロックの真髄を突いている。たった3本のマイクで録音されたローファイな音質と、「これならオレにもできる」と思わせる単純明快な演奏から、この曲はガレージ・バンドのスタンダードとなったのだ。そしてザ・キングスメンは、この1曲だけで、ロック史に名を刻むことになった。

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでベスト盤より

Louie Louie - Very Best

 「Louie, Louie」
 「Money (That's What I Want)」
 「Do You Love Me」
 「Don't You Just Know It」

(全26曲)

The Kingsmen Volume 2

 「Do You Love Me」
 「Walking The Dog」
 「Let The Good Times Roll」

(全15曲)


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キンクス(The Kinks)


イギリス4大ロック・バンド(他はビートルズ、ローリング・ストーンズ、フー。念のため)のうち、残念ながらもっとも影の薄いキンクス。しかし、「パンク・ロックの偉大なるゴッド・ファーザー」として、「アイロニーにあふれたブリット・ロックの創始者」として、現在でも世界中ロック・ファンからリスペクトされている、という事実は紛れもない。 64年リリースされた3rdシングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」(ヴァン・ヘイレンのカヴァーでもお馴染み)は、ロック史に燦然と輝く大名曲だ。闇夜を切り裂くようなワイルド・ギター・リフとアブストラクトな歌メロが絡み合い、得体の知れない高揚感を聴くものにもたらす、この必殺のロックンロール・ナンバーは英米両国で大ヒットを記録した。以降、本当に数多くの名盤・名曲を輩出していく。初期キンキー・サウンドの集大成『フェイス・トゥ・フェイス』、日本のファンの間で特に人気の高いフォーク・ロック作『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサイエティ』、文句なしの超傑作コンセプト・アルバム『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』や『ローラ対パワーマン、マネーゴーランド組第1回戦』。そして、71年発表の『マスウェル・ヒルビリーズ』に始まる、レイ・デイヴィスの作家性が爆発したRCA時代(=セールス低迷期)至高の作品群。 そして70年代後半には、パンク・ロック・ムーヴメントの後押しを受け第一線に復帰したキンクス。ロック色濃い『ロウ・バジェット』『ステイト・オブ・コンフュージョン』がヒット、アメリカ市場においても大きな成功を収めていく。94年には久しぶりの来日公演を果たし、日本中のキンキー・マニアを号泣させたのであった。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムには未収録のよう

The Very Best Of The Kinks

 「Louie, Louie」

(全25曲)


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ラリー・ウィリアムス(Larry Williams)


ニューオリンズ出身。もともとはセッション・ピアニストで、ロイ・ブラウンやパーシー・メイフィールドらのバックを務めた後、57年に当時の雇い主であったロイド・プライスの「Just Because」を借り受けてデビューを果たす。続く「Short Fat Fannie」がヒット・チャート上位にランクされて以来、次々にヒットを飛ばし、所属レーベル<スペシャリティ>ではリトル・リチャードと並ぶ稼ぎ頭となった。ウィリアムスの魅力といえば、飄々とした歌いっぷり。リチャードのように狂気で勝負するのではなく、どの曲にもノヴェルティ感覚たっぷりのユーモアがちりばめられている。 また、彼の放ったヒット・ソングは特に英国で人気が高く、ビートルズが「Dizzy, Miss Lizzy」「Slow Down」「Bad Boy」の3曲をカヴァーしたことは有名だ。Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでコンピレーション盤より

Various Artists / The Specialty Story

 「Bony Maronie」

(全130曲)


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レニー・ウェルチ(Lenny Welch)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでベスト盤より

Anthology (1958-1966)

 「Since I Fell For You」

(全20曲)


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リトル・リチャード(Little Richard)


リトル・リチャードをロックンロールの始祖だという人たちがいる一方で、いや違う、それはヴァン・ヘイレンだ、という人たちもいるが、そういうのに限って毎日タバコをひと箱吸い、まだ20歳だというのにダートバイクを乗り回し、ジーンズの後ろボケットに大きな櫛を入れているようなやつらなのだ。それはさておき、リトル・リチャードがロックンロールの始祖ではないとしたら、少なくともロックのサウンドとスタイルを大きく変えた貢献は誰しも認めるところだろう。ゴスペル・ミュージックとケイジャンR&B、そしてエキサイティングなブギウギを融合させたリトル・リチャードは強力で動的なサウンドを生み出し、パット・ブーンやジミ・ヘンドリックス、そして60年代のブリティッシュ・インヴェイジョンで登場したほとんど全てのバンドに多大な影響を与えたのだ。体中にアドレナリンを駆け巡らせる「トゥッティ・フルッティ」や 「キープ・ア・ノッキン」といった曲はリトル・リチャードの恐れを知らない刺激的なパフォーマンスとソウルフルなヴォーカルに魅了された数多くのアーティストに繰り返しカヴァーされている。彼のレコードに合わせて同じように歌おうとした人ならば、リトル・リチャードのヴォーカルの柔軟性と力強さを再現することがいかに難しいことなのか、分かるだろう。ウソだと思うのならシンディー・クロフォードに彼女の経験について聞いてみるといい。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでベスト盤より

The Original British Hit Singles

 「Lucille」
 「Jenny Jenny」
 「Keep A Knockin'」
 「Good Golly Miss Molly」
 「Bama Lama Bama Loo」

(全26曲)


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リンク・レイ(Link Wray)


元祖ガレージ親爺リンク・レイ。彼をルーツとした木は幹を伸ばし、ピート・タウンジェント、ジミー・ペイジ、果てはヘヴィ・メタルというフルーツまでも実らせた。 ――彼を象徴するのは何といっても58年の「ランブル」だろう。最近ではギターウルフにカヴァーされて話題となった荒くれギター・インストだが、スピーカーに穴を空けて出したというギターのプリミティヴな歪みは、ロックの初期衝動そのものを具現している。そして、この曲が次世代に及ぼした影響は余りにも大きいものであった。60年代に入ってもインスト路線をひた走り、「ジャック・ザ・リッパー」がスマッシュ・ヒットとなるが、70年代に入るとザ・バンドの登場に刺激され、掘っ立て小屋スタジオ“レイズ・シャック・スリー・トラックス”を建て、アルバム『リンク・レイ』『ビー・ホワット・ユー・ウォント・トゥ』を発表。手作り感覚のいなたいサウンドを展開し、いつものエレキをドブロにもち変え、枯れた味わいのプレイと100年生きたかのような皺くちゃな歌声を披露した。 その後も、ロカビリー・ミュージシャンであるロバート・ゴードンと共演したり、ギター・インスト路線に戻ったりしながら現役バリバリで活動中である。また、その無軌道な活動ぶりとアナーキーな存在感を心の師として仰ぐミュージシャンは数多い。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでベスト盤より

Rumble! : The Original British Hit Singles

 「Rumble」
(全20曲)


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リトル・ウィリー・ジョン(Little Willie John)


ティーン・エイジャーにしてデューク・エリントンやカウント・ベイシーの楽団で歌っていたというから驚きだが、ソロ・デビューも弱冠17歳の時。そして翌年には「Fever」(55年)がヒットして大きな成功を掴む。歌の上手さは当時のシーンでもピカイチで、さらにエモーショナルでブルージーというのだから、鬼に金棒とはこのこと。以降も「All Around The World」「Need Your Love So Bad」「Let Them Talk」「Sleep」など、後に古典となるヒットを立て続けに放った。 しかし天才の名を欲しいままにしながらも、栄光は長く続かない。66年にシアトルのカフェで男を刺し殺して投獄され、2年後に刑務所で病死するという悲劇的な最期を迎えた。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでベスト盤より

The Very Best Of Little Willie John

 「Leave My Kitten Alone」

(全25曲)


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ラヴィン・スプーンフル(The Lovin' Spoonful)


もし、タイムマシーンがあったなら、行ってみたい時代がある。それは60年代中期ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ。ボブ・ディランを生み出したフォーク・シーンが形成されていたことでも有名なこの場所で、第二世代ともいえるジェームス・テイラーやピーター・ゴールウェイがギター・リックを交換しあったり、ダニー・クーチやジェイク・ジェイコブスなどがコーヒー・ハウスにタムロしている姿が見れたら最高だ。 そんなヴィレッジ・シーンの牽引車となったのがラヴィン・スプーンフル。65年にジョン・セバスチャンを中心として結成されたこのフォーク・ロック・グループは、フォーク/ブルース/カントリー/ジャグなどのルーツ・ミュージックをポップにロック化してみせた。そう、あくまでもこの"ポップ"というのがポイント。「Do You Believe in Magic?(魔法を信じるかい?)」や「Daydream」といった大ヒット曲に象徴される、口ずさみたくなるような人懐っこいメロディが、これらのナンバーを現代までも聴き継がれる名曲たらしめている。そして、セバスチャンのほのぼのとした歌声も、このヘブンリーな音世界を構成する重要な要素。それらが絶妙に溶け合ったマジカル・コネクションには、ウットリするばかり……。ほんと、幸せな気分にさせてくれる"グッド・タイム・ミュージック"だ。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Do You Believe In Magic

 「On The Road Again」
(全17曲)


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マービン・ゲイ(Marvin Gaye)


スーパー・スターとしての名声を誇りながらも、常に悲劇的な匂いがつきまとう、ソウル界の貴公子。コンサートの直前に自信を失い突如逃げ出そうとしたり、ノリノリで歌っていたかとおもえば、間奏の間に何の曲だったか忘れてしまう……といった、非常にセンシティヴで感受性の強い「危うい」側面は、セクシーでロマンティックな彼の音楽と密接に結びついているのではないだろうか。 61年にデビューして以来、数多くのヒットを輩出。70年代には、ストリートの惨状をポジティヴなメッセージに変換した『ホワッツ・ゴーイン・オン』、セックスと愛をテーマに取り上げ、彼をセックス・シンボルの地位にまで昇り詰めさせた『レッツ・ゲット・イット・オン』、ポルノ・サウンドとでもいうべき『アイ・ウォント・ユー』――など傑作を次々に発表。「色っぽく艶のあるテナー」「野性味溢れるシャウト」「天使のようなファルセット」といった3種の声を使い分け、多重録音を駆使したヴォーカル・オーケストラの如き、独自のサウンドを創り出している。そして性愛をテーマにしても、内省的かつ普遍的な愛(=ゴスペル)にまで高めてしまう表現力は、誰も真似できない聖域にまで到達した。 その後、83年に「セクシャル・ヒーリング」が大ヒットしたが――黒人音楽における電子楽器の普及を置き土産に84年、実父に射殺されるという悲劇的な最後を遂げた。 また、現在でも彼の遺伝子は、ディアンジェロやマックスウェルといったアーティストに受け継がれていると言えるだろう。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでベスト盤より

Anthology : The Best Of Marvin Gaye

 「Hitch Hike」
(全68曲)


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モノ・メン(MONO MEN

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Shut Up!

 「Rumble」

(全8曲)


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モーターヘッド(Motorhead)


何日も着替えていないような不潔極まりないファッションや極悪非道なルックスの“モーターヘッド”は、メタラー〜バイカー〜パンクス〜ロックン・ローラーに至るまで、男なら誰もが憧れるウルトラ・ヴァイオレンス・バンドだ。 へヴィ・メタルの範疇で語られがちだが、その実態は3コードを主体としたシンプルなロックン・ロール・バンド。75年に元ホークウィンドのレミー(vo&b)を中心に結成され、77年の『モーターヘッド』でデビュー。そして、80年の傑作『エイス・オブ・スペイズ』でバンドは絶頂期を迎える。荒削りでラウドなギターとパンキッシュな攻撃的なビートが合わさり、タフでラフなサウンドがせめぎあいを見せた。以後も泣きのギターの導入(←賛否両論)や、メンバーチェンジを繰り返すものの、暴力的なスピード感と究極の一発芸である老いてますます気を吐くレミー節を武器にロック界を爆進し続ける。 ――メタリカ、スレイヤー、ガンズも彼らがいなければあり得なかったといっても過言でない。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Ace Of Spades

 「Louie, Louie」

(全15曲)


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マミーズ(The Mummies)


70年代、サンフランシスコで活躍した人気ガレージ・ロック・バンド。ザ・キンクスばりにラウドなギター・リフ、発狂寸前のシャウト、気合だけは十分な初心者並みのドラムが渾然一体となって押し寄せてくる。「ロッケンロールはテクじゃねえ。(心臓を指さし)ハートなんだよ、ハート」というメッセージが痛いほど伝わってくる。また、西海岸のガレージ・バンドに大きな影響を与えたという点で、後々勃興する世界的なガレージ・ロック・リヴァイヴァルに貢献した。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Play Their Own Records

 「Dirty Robber」

(全15曲)

Never Been Caught

 「Shot Down」
 「Skinny Minnie」

(全17曲)


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ニートビーツ(The Neatbeats)


アーリー60'sの英国ロックンロールをベースとしたサウンドを響かす4人組。スタイリッシュでありながらも破天荒なライヴ・アクトには定評がある。 結成は97年。翌98年には米インディー・レーベルから1stアルバム『FAR AND NEAR』をリリース。以降、日米を股にかけた活動を展開していく。そして02年、アルバム『GOLDEN GOODIES』でもってメジャー・デビューを飾る。そのストイックなロック魂は、結成当初からまったく不変。いまもっとも愛すべきロックンロール病患者だ。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Top Beat Live EP

 「Leave My Kitten Alone」

(全5曲)


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ナット・アダレイ(Nat Adderley)


ナット・アダレイはいつもお兄ちゃんと一緒。なんだかとってもカワイイ奴です。決して“トラの威を借るキツネ”ではありません。非常に“優しい男”であり、それを前面に出した演奏が持ち味。ただ、強烈な個性が競われるシーンでは地味な存在になってしまったが……。 チャーリー・パーカー(as)の再来と謳われたキャノンボール・アダレイの3歳違いの弟で、トランペット/コルネット奏者。ジャズ・シーンにおいてジョーンズ兄弟、ブレッカー兄弟、マルサリス兄弟など“兄弟プレイヤー”はたくさんいるが、そんな中でも最も仲のいいのが彼らだろう。天才兄貴と共に組んだバンドはファンキー・ジャズ路線まっしぐらで、ハード・バップ期を代表するバンドになった。そして、彼は作曲面でも才能を発揮。特に「ワーク・ソング」はこの時期を代表する曲となり、他のバンドでもよく演奏されるスタンダード曲になったのだ。 兄貴の大好きなナットは75年にキャノンボールが亡くなったのを機に、ガックリして長い間演奏意欲を失ってしまったが、最近はヴィンセント・ハーリング(as)という兄貴そっくりの新人を得て、意欲的に演奏活動を開始。息子のように彼をかわいがっている。 やっと元気を取り戻した彼だが、最も脂ののった演奏を聴かせてくれるのは、やはり50年代から60年代だろう。キャノンボール名義だが『キャノンボール・アダレイ・イン・サンフランシスコ』(59年)や『マーシー・マーシー・マーシー』(66年)などでは、プリプリと躍動感の溢れるプレイを聴かせてくれる。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Work Song

 「Sack Of Woe」

(全9曲)


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リメインズ(The Remains)


正式にはバリー&ザ・リメインズ。
ビートルズ最後のライヴ活動となった66年USツアーの前座を務めるなど、 地元ボストン・シーンの伝説となったグループ。
ブリティッシュ・ビート経由のR&Bの影響が大きいが、高い演奏力とアレンジ力、パワフルなエネルギーで一気に聴かせる。
代表曲「Don't Look Back」(66年)はエレピのリフが印象的で、キャッチーなフックをもった好ナンバー。
しかし全米ヒットからは見放され、グループはこのシングルをリリースした直後に解散した。

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

The Remains

 「Diddy Wah Diddy」

(全21曲)

A Session With The Remains

 「Walkin' The Dog」
 「I'm A Man」

(全13曲)


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リチャード・ベリー(Richard Berry)


The Flairsのベースを担当。The Flairsとは別にThe Dreamersとも活動していくが、彼がグループをかけもちしている事で摩擦が生じ、The Flairsを抜けThe Five Hearts というグループを結成する。
その後The Pharaohsを結成しオリジナル「Louie Louie」が13万枚ほどのヒットとなる。
ベリーは結婚資金のために50年代にルイ・ルイの権利を売ったので、キングスメンなどのヒットに対する印税は入らなかった。85年に権利を取り戻した。
歌詞の内容は、船乗りが遠く離れたガールフレンドに会いたい気持ちをバーテンダーに言っているものだが、キングズメンの発音がいい加減なので、ワイセツな歌じゃないのかと疑われ、リチャード・ベリー自身が裁判で歌ったこともある。

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

オリジナル・アルバムが不明なのでベスト盤より

Have 'Louie' Will Travel

 「Louie, Louie」
 「Have Love Will Travel」

(全30曲)


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ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)


ミック・ジャガーとキース・リチャーズほどロックンロール史上、多くの作品を作り出したコンビはいないだろう。
結成当初からローリング・ストーンズはセクシーでワイルドで不良っぽいイメージを打ち出し、ダンディなリヴァプール・サウンドのビートルズとは好対照をなしていた。
ローリング・ストーンズはビートルズに比べるとよりヘビィでブルース調の、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフの影響を受けていた。ストーンズ最大の強みは何と言っても、彼らの興味の対象だった東洋音楽やサイケデリック・ロック、カントリー・ミュージック、さらにはディスコ・ミュージックの要素をブルース・ロックの枠の中に自在に取り込むことができた点だろう。
ハイな気分の「Thier Satanic Majesty's Request」とホンキートンク調の「Exile on Main Street」、現代的な音運びの「Bridges to Babylon」を聴いて、同じバンドがレコーディングしたものとはなかなか信じ難いほどだ。
もちろん、ローリング・ストーンズは度重なるメンバー・チェンジを経てきているし、これが彼らの音楽の多様性に貢献したという見方もできるだろう。
しかし、この紆余曲折を経てきたバンドの中でも数少ない不変のものと言ったら、やはりミック・ジャガーの独特の節回しと、キース・リチャーズのだらしなさげでいて優雅なギター・プレイなのだ。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

The Rolling Stones(1st)

 「Walking The Dog」

(全12曲)

Out Of Our Heads

 「Hitch Hike」

(全12曲)


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スパイダース(The Spiders)


今もテレビで活躍する堺正章や井上純、かまやつ"ムッシュ"ひろし。また、テレビ主題歌の帝王2人、大野克夫と井上孝之(現・尭之)。芸能プロダクション<田辺エージェンシー>の社長、田辺昭知。――といった、芸能表裏面史を闊歩する面々が、同じグループに在籍していたなんて、今の常識では考えられない。もちろんザ・スパイダースのことだ。
60年代の日本ミュージック・シーンにおいて、このグループは何もかもが斬新だった。デビュー・シングルの「フリフリ」からして、国産ロック・オリジナル・ソングの第一号。
世界市場を意識した"トーキョー・サウンド"を標榜し、ヨーロッパを巡業。ヒット・チャートを席捲したのも、このグループが最初。そして、奇抜なファッションなどなど……。その全てが他のグループの追随を許さず、先駆者として未開の土地を切り開いていった。
そして、何よりも、ローリング・ストーンズやキンクスのマージー・ビートからオーティス・レディングやブッカー・T.&THE MG'SなどのR&Bまでをミックスし、独自の日本語ロックを創り上げた功績は余りに大きい。GSの王者というより、日本ロック黎明期の代表格といった方が的を射ているだろう。
70年に解散するものの00年に一夜限りの再結成を果たし、オールド・ファンを喜ばせている。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

ロックン・ロール・ルネッサンス+6

 「Roll Over Beethoven」
 「Jenny Jenny」

(全21曲)

The Spiders Rocks

 「Roll Over Beethoven」
 「Hanky Panky」

(全30曲)

アリス・クーパーの人生と罪状の箱

 「Hitch Hike」

(全81曲)


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スワンプ・ラッツ(The Swamp Rats)


その狂暴なサウンドにおいて追随を許さないピッツバーグのファズ・ガレージ・パンク。
ガレージ・スタンダード「Louie Louie」のカバーは、はっきり言って最強。ソニックスの「Psycho」のカバーも、ソニックスとはまた違った凄みをみせてくれます。
前身はTHE FANTASTIC DEE-JAYSというグループでほとんどフィーク・ロックらしい。 ■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Disco Still Sucks

 「Louie Louie」
 「Psycho」

(全12曲)


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タイガース(The Tigers)


京都で結成された"サリーとプレイボーイズ"に沢田研二が加入し、"ファニーズ"と改名。内田裕也の目にとまりスカウトされる。66年に出演したTV番組のディレクターだった、すぎやまこういちにより"ザ・タイガース"に改名し、67年2月に「僕のマリー」でデビュー。メンバーは沢田研二(vo)/岸部おさみ(b)/加橋かつみ(g)/森本太郎(g)/瞳みのる(dr)の5名。68年には「銀河のロマンス/花の首飾り」などを大ヒットさせ、数あるGSバンドの中でも絶大な人気を得るが69年に加橋かつみが脱退し、岸部四郎が加入。――その後71年、日本武道館での"ビューティフル・コンサート"を最後に解散。80年に入ってから一時復活し、3枚のシングルをリリース。通算17枚目のシングルとなる「色つきの女でいてくれよ」をヒットさせた。 ジュリーとかサリーといったカタカナのステージ・ネーム。"エレキ"を手にしたバンドという形態。それを追いかける女の子たちの黄色い歓声。――そんな図式がまだ珍しかった日本のシーンにおいて、歌謡曲的な要素の濃い甘くセンチメンタルなメロディとロックを繋げた彼らは、萩原健一の在籍するザ・テンプターズと共に革新的な存在だった。未だ日本のロック・シーンのあちこちに根強くGSの要素が息づいていることからも、その功績の大きさが窺える。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

タイガース・オン・ステージ

 「Skinny Minnie」

(全12曲)


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トゥーツ&メイタルズ(Toots & The Maytals)


パンク/ロック/2トーン・スカ、さらに現在のサード・スカ・ブームまで――ジャマイカン・ミュージックが他のジャンルに与えた影響は計り知れない。クラッシュ、ローリング・ストーンズ、スペシャルズらがその顕著な例だが、多くのジャマイカン・ミュージシャンの中でもボブ・マーリィと並んで絶大な影響力を誇っていたのが、トゥーツ&ザ・メイタルズだ。 スカ創世期より活動を開始した彼らは、様々なプロダクションに多くの作品を残した。アメリカンR&Bに影響を受けたリード・ヴォーカル、トゥーツ・ヒバートのエモーショナルなヴォーカルから繰り出される、ダンサブルでゴキゲンなスカ・ナンバーは、現在でもその輝きを失わないエバーグリーンな名曲ばかり。ロック・ステディ期にはトゥーツがマリファナ売買の罪で投獄され一時音楽活動を停止するも、出所後は自らの囚人ナンバーであった「54−46・ザッツ・マイ・ナンバー」(ファースト・レコーディングでは、「54−36」となっている)でヒットを飛ばし、その後も「プレッシャー・ドロップ」「モンキー・マン」などがイギリスでも大ヒットを記録する。しかし何と言っても、彼らの最大の功績は「レゲエ」という音楽/言葉を生み出したことであろう。レゲエの語源には諸説あるが、一般的には彼らの作品「ドゥ・ザ・レゲエ」という曲が転機になったといわれているのだ。この曲は、それまでのロック・ステディのスタイルに比べて、さらに様々な楽器が複雑にからみあい、バック・ビートが強調されている。このエポック・メイキングな曲がリリースされて以降、ジャマイカン・ミュージックはまた一歩新たなる道を進んでいくことになったのである。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Funky Kingston

 「Louie, Louie」

(全8曲)


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ベンチャーズ(The Ventures)


ザ・ベンチャーズは歴代で最高のセールスを記録したインストゥルメンタル・ロックのグループだ。彼らは単なる曲の寄せ集めではないアルバムを作り出し、サーフ・ギターのサウンドを様々なスタイルの音楽に適合させる能力を持っていたのだ。ザ・ベンチャーズのボブとドンはそのフェンダー・ギターで次々にサーフやカントリー、スパイ、そしてサイケデリックな音楽を繰り出した。ザ・ベンチャーズ以外にこんなことをやってのけられるバンドが他にいるだろうか?挑戦さえしないバンドがほとんどだというのが本当のところだろう。ザ・フーのピート・タウンゼントを始め、彼らに影響を受けたというギタリストは山ほどいる。4000万枚以上のアルバムを売り上げたザ・ベンチャーズは正真正銘の、そして史上初の「ビッグ・イン・ジャパン」グループでもある。日本以外の国ではそれほど熱狂的ファンばかりではないとは言え、彼らはいつまでも支持を受けるバンドで有り続けるだろう。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Hyper V-Gold

 「Wailin'」

(全20曲)

The Ventures Forever

 「Mashed Potato Time」

(全41曲)


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ヤードバーズ(The Yardbirds)


3大ギタリスト(ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン)を輩出したバンドとして有名。しかしそれ以上に、アメリカへ進出し、成功した数少ないイギリスのバンドとして重要な存在といえる。 「フォー・ユア・ラヴ」「ハートせつなく」などのヒット曲で知られており、フィード・バック奏法、シカゴ・ブルース、アンプリフィケイション、サイケデリックの要素をミックスさせた音を作り出した。また、「ストロール・オン」を聴けば、ロック界において初のハードロック・バンドであったことがわかるはずだ。もちろん、クラプトンは早々と脱退し、ベックは途中で手抜きしはじめ、ペイジはおかしな衣装をまとってステージに上がっていたことも周知の事実ではあるが――。しかし彼らは、白人がブルースを演奏することができる、と証明した初めてのバンドでもあるのだ。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Five Live Yardbirds

 「I'm A Man」

(全10曲)


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ウェイラーズ(The Wailers)
ファビュラウス・ウェイラーズ(The Fabulous Wailers)


50年代から活躍するノースウェスト・サウンドの創始者でソニックスの先輩格。
初期はガレージというよりR&Bスタイルのダンスナンバーが並ぶが、ソニックスのプロデュースを経てその影響からラフでタフなサウンドに移行していった。
ベスト盤『Livewire!!!』はとにかくカッコイイのでソニックス好きなら間違いなく気に入ります。

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Original Golden Crest Masters

 「Dirty Robber」
 「Wailin'」
 「Shangheid」
 「Lucille」
 「Swing Shift」
 「High Wall 」

(全20曲)

Wailers At The Castle

 「Wailers House Party」
 「Dirty Robber」
 「Sac O' Woe」
 「Louie Louie」

(全16曲)

Livewire!!!

 「Dirty Robber」
 「Bama Lama Bama Loo」

(全16曲)


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フー(The Who)


「キッズのためのロック」を徹底して鳴らし続けたザ・フーは、65年に「アイ・キャント・エクスプレイン」でシーンに登場。「マイ・ジェネレイション」「キッズ・アー・オールライト」「恋のピンチ・ヒッター」など、アグレッシヴ&どキャッチーなモッズ・スタンダードを次々と生み出すと共に、熱狂的かつ破壊的なライヴを繰り広げ、たちまちシーンの頂に登りつめた。69年に開催されたウッドストックやワイト島フェスティバルでは、圧倒的なパフォーマンスを見せつけ、さらに71年には、最高傑作と名高いハードロック・アルバム『フーズ・ネクスト』をリリースする。英米ともにビッグ・セールスを記録し、世界的なへヴィ・ロック・バンドへの階段を駆け上がっていった。 また見逃せないのは、69年リリースの世界初ロック・オペラ・アルバム『トミー』や、モッズ魂と社会性をモチーフとした73年の『四重人格』などのコンセプト作で見受けられる、作家性に富んだアーティスティックな側面であろう。両作品とも後年映画化され、音源ともども大ヒットを果たし、もはや向かうところ敵なしであった。 がしかし、78年に大人気メンバーであったキース・ムーン(dr)がドラッグの過剰摂取により他界。後釜として、かつての盟友スモール・フェイセズのケニー・ジョーンズを迎え復活を遂げるが、結局かつての輝きを取り戻すことはできなかった。やはり、キースのハチャメチャ暴れドラムあってのザ・フーであったのだ。それをもっとも実感していたピート・タウンゼンド(g)は、82年解散を宣言。長い歴史に幕を降ろした。 Listen Japan より)

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

My Generation

 「I'm A Man」

(全30曲 : Deluxe Edition)


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ワンオーワナーズ(The 101ers)


ザ・クラッシュのフロントマン、ジョー・ストラマーがクラッシュ以前に組んでいたパブ・ロック、ロカビリーのバンド。

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

Beat Music Dynamite!

 「Roll Over Beethoven」

(全19曲)


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