ドクター・フィールグッド(Dr. Feelgood)




70年代後半にイギリスで燃え上がったパンク・ムーヴメントの導火線となったパブ・ロック・シーンの代表格バンド、ドクター・フィールグッドはリー・ブリロー(vo,hca)、ウィルコ・ジョンソン(g,vo)を中心にジョン・B・スパークス(b)、ジョン”ビッグ・フィギュアー”マーティン(ds)の4人で結成された。

ブリローは1952年5月10日、英国人の両親の間で南アフリカに生まれ、55年には帰国し西ロンドンのイーリングで育つ。65年にエセックス州のキャンヴェイ・アイランドに移り在学中に、ベーシストのスパークスと初代マネージャーのクリス・フェンウィックと出会う。そして67年にサウス・サイド・ジャグ・バンドを結成。卒業後、弁護士事務所で働いたり法科大学に通ったりしながら、ピッグボーイ・チャーリー・バンド、ワイルド・バンチと名前を変えながらバンド活動を続ける。このころウィルコと出会う。
ウィルコは63年にローマーズに参加して以来、ノース・アヴェニュー、フラワーポッツ、ザ・フィックスと渡り歩き、66年に大学に通うため音楽活動を止め、その後インドに行ったりしていた。その後1971年ごろサウスエンドにやってきてブリローたちと一緒に演奏しはじめる。ウィルコの加入で、それまでギターを担当していただったスパークスはベースに回り、テリー・ハワーズ(ds)と共に活動を開始。1年後にウィルコとローマーズで活動していたビッグ・フィギュアーにドラムスが変わり、ドクター・フィールグッドとしてパブをサーキットすることからキャリアをスタートさせる。

ウィルコとブリローの2つの個性がぶつかり合うステージが大きな話題を呼び、74年にUnited Artistsと契約。その年11月にシングル「Roxette/Route66」でデビュー。12月にアルバム『Down By The Jetty』を発表する。 ストレートでシンプルながら奥深い魅力をもったブリディッシュ・ビート・サウンドで一躍注目を集める。75年、2作目『Malpractice(不正療法)』は全英17位のスマッシュ・ヒット。76年の3作目となるライヴ・アルバム『Stupidity(殺人病棟)』を発表。『Stupidity』は全英1位となり人気もピークを迎える。
しかし77年、4作目『Sneakin'Suspicion』収録の「Lucky7」のレコーディング中、ウィルコとブリローは口論となり、ウィルコがバンドを去る。

ギタリストの後任に元ジャズ・ファンク・バンドHarllowのジョン”ジッピー”メイヨを迎え5作目『Be Seeing You(危険物)』を発表。プロデューサーに同じくパブ・ロックの代表格だったブリンズレー・シュワルツ、そしてロック・パイルのニック・ロウを迎え、ロックン・ロール色の濃い作品になった。
79年、ハードなツアーに疲れたメイヨがバンドを去る。元カウント・ビショップのジョニー・ギターを迎え82年『Fast Women & Slow Horses』を発表。だがこれを最後にスパークス、ビッグ・フィギュアーが脱退してしまい、フィールグッドは一時解散。

ブリローは再結成を行い、パット・マクマレン(b)とバズ・バーレル(ds)、ケヴィン・モリス(ds)、ピット・ミッチェル(b)、ゴードン・ラッセル(g)とメンバーチェンジを繰り返しながら84年『Doctors Orders』、85年に傑作『Mad Man Blues』と、ツアーに出る姿勢は失わず、ストレートなサウンドを刻んだアルバムを立て続けに発表していく。

90年代に入るとギターがスティーブ・ウォルウィンに代わったりもするが、2〜3000人規模のクラブにこだわったライブを続け、根強いファンに支えられ安定した活動をしていく。
93年『The Feelgood Factor』のレコーディングの真最中、ブリローはリンパ膿に苦しみ、20年間続いたツアーに終止符が打たれる。 そんな中、マネージャーのクリス・フェンウィックとドクター・フィールグッド・ミュージック・バーを開店する。バーはキャンド・ヒート、9ビロウ・ゼロ、インメイツなどが出演し、すぐに繁盛する。ブリローも病を押して店にしょっちゅう顔を出していた。 そして94年のはじめ、自分のクラブで演りたくてしょうがない、と打ち明けた。1月24、25日の2晩、ドクター・フィールグッドはライブを行う。そのライブは後世まで残すためレコーディングされ、『Down At The Doctors』として発表。 それから3ヶ月後の4月7日、ブリローは咽頭ガンのために41歳の若さで死去。

その後、残ったメンバーたちはヴォーカリストに、ピート・ゲイジを迎え96年『On The Road Again』を発表。ロバート・ケインを迎え2000年『Chess Masters』、2003『Speeding Thru Europa』を発表する。ブリローもオリジナル・メンバーもいないがバンドの精神は受け継がれ、現在もドクター・フィールグッドは活動中である。

■ ソニックスがらみの曲収録アルバム ■

不正療法(Malpractide)

 「Don't You Just Know It」

(全11曲)

殺人病棟(Stupidity)

 「I'm A Man」
 「Walking The Dog」

(全13曲)

Live In London

 「Bony Maronie」

(全14曲)


前へ戻る  HOME
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送