俺たちは本当にヒドイもんだった。
あんたが俺たちについて聞いてることは全て事実だ。
−LARRY PARYPA−
1960 | ワシントン州タコマで結成される。 | ・ベンチャーズ デビュー |
ギターのラリー(LARRY PARYPA)が、ドラムのミッチ・グレーバー、ギターのスチュアート・ターナー、サックスとスタンダップベースの奏者でアンディ(ANDY PARYPA)の兄弟のジェリーと共に始める。 | ||
ジェット機をヒントにザ・ソニックスと名付けられる(ソニック=音速) | ||
1961 | アンディにベースが変わり、トニー・マービンが新しくサックスとして加入する。 |
・ビーチ・ボーイス デビュー ・ボブ・ディラン デビュー |
結成当初のソニックスは、当時ノースウエスト地区で人気のあったザ・ウェイラーズ(The Wailers)やThe Roamersの影響下、純粋なインストロメンタルのグループだった。 | ||
スチュアートが軍隊の移動のため、新しいリードギターにリッチ・コッホが加入する。 リッチは以前ザ・ウェイラーズで演奏をしていたため話題になった。 | ||
1962 |
ボーカルとしてマリリン・ロッジが加入する。 | ・ビートルズ デビュー |
ドラムがビル・ディーンに変わる。 | ||
1963 |
リッチとマリリンがバンドを去る。 |
・ローリング・ストーンズ デビュー ・ビートルズのアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」が全英29週連続No.1 |
ラリーが1人でギターをやるようになる。 | ||
ボーカルとしてレイ・マイケルソンが加入する。 レイはThe Falcons、The Vikings、The Roamers、The Imperialsといったノースウエスト地区の多くのバンドで演奏をしていた有名な歌手で、ローカル・スターだった。 | ||
ビルがバンドより自分の車へ入れ込んできていたため、ラリーは他のドラマーを探し始める。 | ||
The Searchersで演奏していた、ドラムのボブ・ベネット(BOB BENNETT)が加入する。 | ||
ボブと一緒に演奏していたジェリー・ロスリー(GERRY ROSLIE)、ロブ・リンド(ROB LIND)と知り合う。 | ||
1964 |
レイが結婚をし、バンド活動を落ち着かせることになり、ジェリーとトニー・マービンの後のサックスにロブが加入する。 |
・キンクス デビュー ・ヤードバーズ デビュー ・アニマルズ デビュー ・ゾンビーズ デビュー ・サイモン&ガーファンクル デビュー |
バンドはまだインストロメンタルのグループで、ジェリーはエレクトリック・ピアノを演奏していた。 しかし1964年の始めごろ、ジェリーが歌い始める。 | ||
ジェリーをリードボーカルとして、 The Red Carpet、Olympia's Skateland、Evergreen Ballroom、Pearl's、Spanish Castle Ballroom、St Mary's Parish Hall などで演奏を始める。 | ||
ザ・ウェイラーズのベースだったBuck Ormsbyは自分たちののレーベル「エチケット・レコード(Etiquette Records)」のために新しいグループを探していた。 そして彼が出演したライブでソニックスを発見する。 | ||
Ormsbyは回想する。 「当時、俺はそれまでとは違う何かを探していたんだ。ソニックスを見てぶっ倒れたよ。そして見つけたってね。 ラリーのギターも気に入った、なんせ音は歪みっぱなし。 ジェリーも気に入った、なんせ彼はただ叫び散らしてるだけ。でもそんな奴らのサウンドは俺に”生きている意味”まで教えてくれたね」 | ||
シアトルにて最初のレコーディングを行う。 リトル・リチャードの「Keep A Knockin'」のキチガイじみたバージョン。そして「The Witch」。 | ||
ファーストシングル「The Witch」はローカルラジオ局でチャートインするが、それはPat O'Dayの権威ある「KJR Top40」ではなかった。 しかし、ソニックスがタコマのカーティス・ハイスクールで演奏した翌週、Pat O'Dayが数枚のレコードを持ってカーティス・ハイスクールのダンスパーティへやってきた。そのとき生徒たちが「The Witch」をリクエストし、彼が流したとたん会場は気が狂ったように盛り上がった。 その翌日からPat O'Dayは「The Witch」をオンエアし始める。 そしてシングルとしてはノースウエスト地区史上の空前のベストセラーになった。 | ||
「The Witch」のヒットに続き、オーディオレコーディング・スタジオというカーニー・バートンのスタジオでシングル「Psycho」がレコーディングされ、前作同様、すぐに地区で大ヒットする。 | ||
1965 |
カーニーのスタジオでLP『HERE ARE THE SONICS』をレコーディングを始める。スタッフにとってはクレイジーな若者5人と連日の大爆音のため地獄の日々だったそうだ。 |
・ザ・フー デビュー ・スモール・フェイセズ デビュー ・ザ・バーズ デビュー ・ジェファーソン・エアプレイン 結成 ・ストーンズ「サティスファクション」全米No.1 ・エリック・クラプトン、ヤードバーズを脱退 ・ジェフ・ベック、ヤードバーズに加入 |
アルバムは全てドラムキットの上に1台のマイクを設置し、2トラックのテープレコーダーで記録された。 | ||
歪んでいてかつ攻撃的な音を入手するために、バンドメンバーたちはアンプをオーバードライブさせ続けた。おかげでスタジオの全てのボリュームメーターは常にレッドラインだったそうだ。 | ||
アンディは回想する。 「もし俺たちのレコードが歪んでいたら、それはラリーのせいだ。奴ときたら、いつもアンプの周りをウロウロして、オーバードライブさせたり、ときにはスピーカーを裂いたり、アイスピックを突き刺したりしていた。そして、俺たちのサウンドはブチ壊れた電車のようだった」 | ||
1966 |
2月、次のLP『BOOM』がカントリーミュージシャンのためのスタジオとして知られるワイリー/グリフィススタジオでレコーディングされる。 |
・クリーム 結成 ・グレイトフル・デッド デビュー ・ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンス デビュー ・フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンション デビュー ・ディープ・パープル 結成 ・デビット・ボウイ ソロ・デビュー ・ジェフ・ベック、ヤードバーズ脱退 |
メンバーは録音の間、防音のためにスタジオの天井と壁に囲まれ卵ケースを取り壊したそうだ。 | ||
その頃ソニックスは、ビーチ・ボーイズ、ジャン&ディーン、ジェイ&ザ・アメリカンズ、レイ・スチーブンス、ハーマン・ハーミッツ、ライチャス・ブラザーズ、キンクス、ラビン・スプーンフル、リヴァプール5、シャングリラス、ママス&パパス、バーズ、といった大物グループの前座と務めるようになる。 | ||
メジャーレーベルABC傘下にあるシアトルのJerden Recordsと契約。 ハリウッドへ行き、ゴールドスター・スタジオでラリー・レヴァインのプロデュースの元、LP『INTRODUCING』を製作。 | ||
『INTRODUCING』は、遥か洗練されたLPとなったが、メンバーたちは今までのよう自由に、アンプをオーバードライブさせたりなどができなかった。メンバーたちはこのレコードを「最悪のクズ」と評している。 | ||
1967 |
7月26日「Anyway The Wind Blows」がレコーディングされる。サイケな方向性を思わせる「Anyway The Wind Blows」と「lost love」はシングルとしてミニヒットするが、オリジナルのソニックスでの最後のリリースとなった。メンバーたちは他のバンドへ加わったり、大学へ行ったり、などバンドを去っていったらしい。 |
・ピンク・フロイド デビュー ・ジェフ・ベック・グループ デビュー ・ドアーズ デビュー ・ティラノザウルス・レックス 結成 ・フリートウッド・マック 結成 ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド デビュー |
1968年を前に、リードボーカルとしてジム・ブレイディーが加入。バンドを導いていき、ストリングスとホーンを加えるなど前進し新しいサウンドを打ち出す。 | ||
1968 | オリジナルメンバーとして最後まで残ったロブ・リンドが脱退。 |
・ザ・バンド デビュー ・レッド・ツェッペリン デビュー ・クリーム 解散 ・ヤードバーズ 解散 |
1969 |
「Jim Brady & The Sonics」名義で「Near My Soul」リリース。 ノースウェストのラジオ局でエアプレイこそ得たものの、 これまでのソニックスとあまりにも違い、ファンからの支持は得られなかった。 |
・ウッドストック・フェスティバル(8.15〜17) ・サンタナ デビュー ・キング・クリムゾン デビュー ・モット・ザ・フープル デビュー ・ジェフベックグループ 解散 ・ブライアン・ジョーンズ 死去 |
キーボードプレーヤーのRandy Hiattは、ヴォーカルの腕前と作詞作曲の才能をソニックスにもたらしました。 そして、すぐ、「Brady-Hiatt & The Sonics」として売り出される。 | ||
結局、この年でソニックスは解散したようだ。 | ||
1972 | オリジナルのソニックスは一時再結成し、シアトル・パラマウントでライブを行っている。 このライブの模様はエチケット・レコードより「Live Fanz Only」としてリリースされた。 |
・ニューヨーク・ドールズ デビュー ・エアロスミス デビュー ・ドアーズ解散 |
1980 |
ジェリーは新メンバーと共にソニックス名義で「Sinderella」をBompよりリリースした。 |
・ジョン・レノン 射殺される ・レッド・ツェッペリン 解散 |
このページは海外サイト及び「Psycho-Sonic」のライナーを参考にして書かれています。
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